ト◯×

鉄道、音楽、日常、懐古

国鉄型にまみれてきた(1)

上越線しなの鉄道の撮影に行ってきた。撮影で遠征するのは結構久しぶりな気がする…多分。

 

10/21

一時間ぐらいしか眠れなかったが、午前6時頃に家を出発。小田急の車内で少し目を閉じて、栄養ドリンクの効果と相まって辛うじて動ける程度に回復。

新宿経由で東京駅へ行き、サンライズで上京してきた友人と合流。上越新幹線に乗り込み、高崎を目指す。乗ったMaxたにがわは安かったけれど1階席の壁際という大外れ席。なかなか狭かった。

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90年代前半生まれにとっての私鉄特急のスターってこの辺り

タイトルが冗長になってしまう。

 

西鉄8000が引退ということで盛り上がっている。塗装戻したり、定期運用終了後に復帰させたり、最後の最後までファンサービスたっぷりですごいなーと感動している。結局乗りに行くことはなかったけど、2ドア転換クロスシート車って問答無用でかっこいいと思ってるから惜しいことをした。

 

幼少期に鉄道が好きだと、図鑑で覚える最新型が永遠にスター性を持つという持論がある。自分と同世代だと、新幹線は300系500系、特急は253系…みたいな具合。色々あるから挙げるとキリがない。当たり前だけど、バブル期の車両が多かった。

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OBOG演奏会が終わった

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長いこと関わってた第3回OBOG演奏会が終わった。

何というか、終わったという実感が全くなくてふわふわしている。

 

そもそも、演奏会をしたという実感がない。演奏会一週間から当日の開場直前まで

えげつないくらいトラブルが続発していた。食事と睡眠のバランスも崩れ、当日はリハすらきちんとこなせない始末。ぶっつけ本番の曲まであった。

演奏のクオリティは悪かっただろうけど、オケのテンション、完成度に適した演奏は辛うじて出来たかと思う。

4年前の第2回OBOG演奏会では、ソロが上手く弾けなかったのが非常に悔しくて、打ち上げで「次回はもっと頑張ります」と言った記憶がある。その頃よりはレベルが多少は上がったと信じているが果たしてどうだっただろうか。

 

万全の状態ではなかったのが悔しい。どうでもいいけど、演奏会前はトラブルが起こりやすいらしく、万全の状態で本番に臨めた記憶があまりない。けれど、高校時代に2回、OBOG会で1回、今のオケで1回、合計4回立ったAOIのステージは5回目の自分にも優しかった。

 

演奏会に出るときのスタンスは、「技術向上」「お客さんの期待を超える」のときもあれば、「自分達がなによりも楽しむ」のとき、または「寸分の狂いのないベース」とビジネスライクなとき、演奏会の数だけ色々ある。OBOG演奏会は、「憧れ」と「還元」で立っていた。

高校生の頃、指揮がかっこよくて憧れてた先輩、最前列で素晴らしい音を出す先輩、その人達が目の前にいる…これだけで十分だった。そして、実行委員長の先輩の熱意に突き動かされた。要領は最悪で手助けがほぼ出来なかったけれど、その熱意に触れたとき、何もしないわけにはいかないとなんとかアクションを起こそうという気になった。

還元という意味では、この4年間弾いてきて、様々な弾き方、音のつくり方に触れてきた。それらをうまく組み合わせて、今まで弾いてきた曲のグレードアップを図れたらいいかなと思ってやってみた。こっちはあまりうまくいかなかったかな。

 

本番の2週間前に様々な仕事が舞い込んできて、結構てんてこまいだった。幸い、大学の鉄研で散々やってきたようなジャンルだったこと、前職で得られた小技をフル動員して事なきを得たがなかなか大変だった。

本番当日は撮影のためにカメラをセットしたが、借りたカメラを落下させて破壊するという事件が起きた。けれど、もともと中古で買ったやつだったのとレンタル業者から借りた10万は超えるであろう4Kカメラでなかったことが幸いだった。

しかし、録音をお願いするときにメディアがつかえない(分かる人には分かるけど、機材が古いため近年の大容量メディアには対応していない)と言われたのには参ってしまい、思わずホールの人に因縁をつけてしまったのは反省している。

 

今回の演奏会では、10番目くらいの功労者だと勝手に思っている 笑(実行委員長、指揮者三人、各パートトップ6人)正直、俺と同じ…せめて大学でまだ楽器かベースを続けている子が居ればもっと気楽にできたかなと思わなくははい。あるいはめちゃ動画に詳しい子か。まぁこれはそのうち追々考えていかなきゃならないな。

 

第一部でのベースが俺しかいないステージはもうちょっと頑張りたかった。これが一番の心残り。

 

打ち上げに出ず、そのまま神奈川に帰ったことも心残り。話したいこと、相談したいことがたくさんあった。あんなに集まる機会もないので、本当に残念。

 

でも、OBOG演奏会がある限り、なんだかんだみんな集まってくれると思うので、きっと大丈夫だと信じている。

 

話がとっちらかってるけどこれでおわり。

皆さんお疲れ様でした!!

着席保証列車の考察

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◾️増え続ける着席保証列車

近年、私鉄での座席定員制の列車が増え続けている。

 関東では、

TJライナー(東武)

・Sトレイン(西武、東京メトロ)

・さがみ、メトロさがみ(小田急東京メトロ)

スカイツリーライナー(東武)

関西では、

・泉北ライナー(南海、泉北高速)

・ライナー(京阪)

が挙げられる。

また、既存の列車のテコ入れとしては、

・モーニングウェイ、メトロモーニングウェイ(小田急東京メトロ)

・モーニングウイング(京急)

が挙げられる。

 

◾️記事内での名称について

上記で提示した各列車を「着席保証列車」と総称させていただく。

 

 ◾️付加価値としての着席保証

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LA LA LANDを観てきたよ

最近、youtubeサカナクションをひたすら聴くのがマイブームです。apple musicでも聴けるのですが、ブラウザを使っていることが大半で楽なこと、別に今や違法でも何でもないからまぁいいかな…と思うとついついそうなってしまいます。

先日、サカナクションの上京物語みたいな話をするというので、ラジオのSCHOOL OF LOCKを何年かぶりに聴きました。登戸での製作の日々や下北沢の情景の話が面白く、小田急線沿線に住んでたから楽曲のSEで使われる音が小田急だったりするのかな、と思ったり。東京という土地が持つ力や魅力の話をしていたのが印象深かったです。

 

昨日、映画「LA LA LAND」をやっと観てきました。チャゼル監督の作品ということで公開当初から期待できそうだなと思っていたらアカデミー賞で想像以上にすごいことになっていて驚きました。とりあえず上映期間に間に合ってよかった…レイトショーしかやってなかったからわりと危なかったかも。

 

サントラからの引用はあるものの、あらすじのネタバレはあまりしない方針で感想を書いていきます。

 

ミュージカル映画へのノスタルジーと言うものの

映画の冒頭のシーンは、今まで人生で見た作品の中でも最高のつかみの良さでした。「これからミュージカルの映画がはじまるよ!!」と言うのをとっても分かりやすく表すオープニングの踊りと物語全体のイメージを提示する歌が、オペラの序曲のような役割を果たしていました。ミュージカル映画を初めて観る人に対するハードルを一気に下げる意味でも非常に良心的でした。そのかわり、全体としてはミュージカル映画という割には歌や踊りがちょっと物足りないかな…という印象も。そのリソースをジャズに割き過ぎてしまったかなと思わなくもないところです。

映像は、「セッション」とは全く異なり、ちょっと昔の映画のような雰囲気(と思ったらフィルムを使って撮影されたそう)でした。各シーンでの台詞からも、全体的に古き良き時代の映画を意識しているつくりだなと感じました。実際にそういう評価や、関係者のインタビューもあるみたいですが、個人的には、このような映画を観ない人にはなかなか新鮮に映ることでしょうから、結果論ではありますが、単純にノスタルジーな映画で片づけるのはちょっと勿体ないかな、と思います。

 

◇最後のシーンについて

この映画でおそらく賛否が分かれるのは最後のシーンかと思います。個人的には、それはそれはきつかったです 笑 ほんとに泣くかと思った。

劇中でも最も雰囲気が違う箇所で、これをどう表現すればいいのかなと一日悩みましたが、一番しっくりきたのは、「ミュージカル(映画)のなかで上演されるミュージカル」という言い回しでした。日本の漫画やアニメだと度々あるパターンですね。というか、こう思わないと心のざわつきが静まらないです。

結末自体は、昔見た映画とほぼ一緒の展開でしたが、その映画より何千倍も華やかに終わった一方で、その華やかさがズキズキと痛かったです。

 

◇The Fools Who Dream

作中の楽曲で最も好きなのが「The Fools Who Dream」です。歌われるシーン、歌詞が絶妙でした。言葉足らずで恥ずかしいですが、まさしく迫真の演技でした。雰囲気が「レ・ミゼラブル(2012)」のどこかのシーンに似てたけど、どこだったかな…。

この歌までの経緯もまた、自分の心に突き刺さるものでした。夢を追っかけていくこと、そんな人々を惹きつけるロサンゼルスという土地、これらが図らずも冒頭で書いたサカナクションと東京の話にも結び付きました。また、今の自分自身の心境にもリンクしてしまいました。なにしろ、映画を見る30分前まで大学の友人に「俺の将来ってどうすればいいかな?」とLINEを送ったところでした。

 

 

去年の「シン・ゴジラ」を観たあたりから何となく映画熱が高まり、色々と観ています。

映画に関しては、音楽や鉄道と比較すると偉そうなことの言えない素人ですが、小さい頃に名作を一通りみたことや自分で撮ったことから、何となくではありますが、掘り下げ気味に観ています。純粋に色んな映画を楽しめそうで楽しめないような気がしてやや複雑なところです。

 

何にせよ、「LA LA LAND」、とても良かったです。そんなゴールデンウィーク前日でした。

革命の夜は口笛が響く

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(ロシアは行ったことがないので…元共産国家スロヴァキアのトラム)

 

所属しているマンドリンオーケストラで、7月公演に向けての練習がはじまった。

今回のメイン曲はショスタコーヴィチ交響曲第5番「革命」。曲の難易度もさることながら、現代作品特有の雰囲気と徹底的に作りこまれた迫力に血が滾る。

 

練習を終えて、帰りがけに様々な演奏を聴き比べつつ、曲の背景に思いを馳せた。

 

ショスタコーヴィチ交響曲第5番「革命」

曲の解説、解釈は様々なものがあるが、NHKの番組がシンプルで分かりやすかった。

www.nhk.or.jp

要約すると、大粛清が行われていた頃のソ連で活躍していたショスタコーヴィチスターリンに目をつけられてしまい、そのなかで書かれた作品が交響曲第5番「革命」である。

 

例によって、「革命」というのは日本でしか使われていない通称であるが、曲の本来の持ち味を無視した邦題を付けがちな中では名付け方としてはなかなかセンスが良いと思う。

 

 

■音楽と政治、共産主義

現代の日本社会では、音楽を含めた芸術を政治のために利用するのはタブー視されている。批判することに関してはとても広く受け入れられていて、そちらについては馴染みがあるが、政権応援のためのポップスは聴いた試しがない(仮にあっても、個人的にはちょっと嫌であるが)。

一方で、世界を見渡せば芸術の政治利用は少なからず行われてきている。不可侵と思われている、思いたい両者であるが、切り離すのは困難だ。

 

特に、芸術作品はデリケートなもので、製作者自身の心情、状況によって大きく変化する。そのようなデリケートなものを、政治の力で操作するというのはそれほど難しいことではない。従わなければ芸術を作る資格を奪ってしまえばいい。

 

金城一城の小説「GO」のなかに、共産主義について記した部分に良い一文がある。

 

「共産(社会)主義国家は宗教を認めていなくて、でも、国民を一枚岩のように団結させるためにはやっぱり宗教のようなものが必要で、当然ながら、宗教にはカリスマである教祖様が必要で、(後略)」

 

上の文に従えば、宗教(=共産主義)に必要なものは教祖(=指導者)だけではない。人を置くだけでなく、建築、行事、教育など様々な道具を駆使して強大さを誇示する必要がある。芸術も使い勝手がいい道具の一つだ。

 

革命や戦争を行っているなかで人を団結させる音楽として、感動的な、眠くなるようなものは不要である。感情を昂らせ、前進する決意を固めさせる強い音楽が適当である。

 

音楽がそのように利用されたことは、個人的にはあまり面白いものではない。しかし、そのような背景があったからこそ現代でも演奏される作品が生まれたという事実は変えられない。

心を震わされたのは政治の力ではなく、音楽そのものの力であることを信じたい。

 

参考文献

金城 一城「GO」(角川文庫)

浦久 俊彦「138億年の音楽史」(講談社現代新書)