ト◯×

鉄道、音楽、日常、懐古

憧れと苦悩の間

3月末に川崎の家を引き払い、6年ぶりに静岡で暮らし始めて二ヵ月が経った。

4月は仕事に慣れることで慌ただしく過ごしたが、5月に入り多少は余裕が出てきた。

東京に再び出向くようになった。節約のためにJRと小田急で行き来している。金券屋の切符を駆使して片道2100円程度での移動を実現している。本当はバスのほうが安いが時間をうまく合わせられなかったりコントラバスを持っていたりするため選択肢が鉄道になる。

行きはいいのだが、帰りの新宿駅で並ぶのが面倒でついロマンスカーのチケットを買ってしまう癖はやめたい。それでも新幹線片道分の料金、単純な在来線往復より安いけど。

 

住んでいた百合ヶ丘を通過するとき、ついつい視線がいってしまう。そして「ほんの二ヵ月前までは住んでいたのに…」とたそがれてしまう。

 

東京の暮らしは尋常じゃないくらいしんどかった。一方で刺激の強さを楽しんでいた節もある。

 

ただ、百合ヶ丘の家はこれまで住んだ家のなかで最も快適だった。ボロボロになっていた自分を包んでくれるシェルターだった。

 

仕事は楽しい。今のところ順調だ。薬の量もずいぶん減った。でもそれらと引き換えに家の快適さと刺激を失ってしまった。

最近は「百合ヶ丘に住みながら今の仕事がしたい」としきりにぼやいている。

 

刺激はまぁ何とかなる。飲み会1.5回分の金を払えば東京を往復できる(そもそも戻ってきて飲み会の機会が減ったけれど)。けれど家の快適さを十分に得るにはどうするべきか。

でも百合ヶ丘で使ってた間接照明を設置したらちょっと快適になった。

 

新宿から帰るロマンスカーの車内はとてつもなく憂鬱だ。東京で頑張りきれなかった敗北感とかこの先もこれでやっていけるのかという焦燥感とか色んなものに苛まれる。もう少し強さがあれば、まだ頑張れたのかもしれないと思うとひどく暗い気持ちになる。

 

今日の帰り、新百合ヶ丘を出た辺りで見かけた多摩線の急行の灯りがとてもかっこよかった。長い電車が走っていく様が結構好きで、できることならこれをまた日常的に見たいと思ってしまった。