革命の夜は口笛が響く
(ロシアは行ったことがないので…元共産国家スロヴァキアのトラム)
所属しているマンドリンオーケストラで、7月公演に向けての練習がはじまった。
今回のメイン曲はショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」。曲の難易度もさることながら、現代作品特有の雰囲気と徹底的に作りこまれた迫力に血が滾る。
練習を終えて、帰りがけに様々な演奏を聴き比べつつ、曲の背景に思いを馳せた。
曲の解説、解釈は様々なものがあるが、NHKの番組がシンプルで分かりやすかった。
要約すると、大粛清が行われていた頃のソ連で活躍していたショスタコーヴィチがスターリンに目をつけられてしまい、そのなかで書かれた作品が交響曲第5番「革命」である。
例によって、「革命」というのは日本でしか使われていない通称であるが、曲の本来の持ち味を無視した邦題を付けがちな中では名付け方としてはなかなかセンスが良いと思う。
■音楽と政治、共産主義
現代の日本社会では、音楽を含めた芸術を政治のために利用するのはタブー視されている。批判することに関してはとても広く受け入れられていて、そちらについては馴染みがあるが、政権応援のためのポップスは聴いた試しがない(仮にあっても、個人的にはちょっと嫌であるが)。
一方で、世界を見渡せば芸術の政治利用は少なからず行われてきている。不可侵と思われている、思いたい両者であるが、切り離すのは困難だ。
特に、芸術作品はデリケートなもので、製作者自身の心情、状況によって大きく変化する。そのようなデリケートなものを、政治の力で操作するというのはそれほど難しいことではない。従わなければ芸術を作る資格を奪ってしまえばいい。
金城一城の小説「GO」のなかに、共産主義について記した部分に良い一文がある。
上の文に従えば、宗教(=共産主義)に必要なものは教祖(=指導者)だけではない。人を置くだけでなく、建築、行事、教育など様々な道具を駆使して強大さを誇示する必要がある。芸術も使い勝手がいい道具の一つだ。
革命や戦争を行っているなかで人を団結させる音楽として、感動的な、眠くなるようなものは不要である。感情を昂らせ、前進する決意を固めさせる強い音楽が適当である。
音楽がそのように利用されたことは、個人的にはあまり面白いものではない。しかし、そのような背景があったからこそ現代でも演奏される作品が生まれたという事実は変えられない。
心を震わされたのは政治の力ではなく、音楽そのものの力であることを信じたい。
参考文献
金城 一城「GO」(角川文庫)