OBOG演奏会が終わった
長いこと関わってた第3回OBOG演奏会が終わった。
何というか、終わったという実感が全くなくてふわふわしている。
そもそも、演奏会をしたという実感がない。演奏会一週間から当日の開場直前まで
えげつないくらいトラブルが続発していた。食事と睡眠のバランスも崩れ、当日はリハすらきちんとこなせない始末。ぶっつけ本番の曲まであった。
演奏のクオリティは悪かっただろうけど、オケのテンション、完成度に適した演奏は辛うじて出来たかと思う。
4年前の第2回OBOG演奏会では、ソロが上手く弾けなかったのが非常に悔しくて、打ち上げで「次回はもっと頑張ります」と言った記憶がある。その頃よりはレベルが多少は上がったと信じているが果たしてどうだっただろうか。
万全の状態ではなかったのが悔しい。どうでもいいけど、演奏会前はトラブルが起こりやすいらしく、万全の状態で本番に臨めた記憶があまりない。けれど、高校時代に2回、OBOG会で1回、今のオケで1回、合計4回立ったAOIのステージは5回目の自分にも優しかった。
演奏会に出るときのスタンスは、「技術向上」「お客さんの期待を超える」のときもあれば、「自分達がなによりも楽しむ」のとき、または「寸分の狂いのないベース」とビジネスライクなとき、演奏会の数だけ色々ある。OBOG演奏会は、「憧れ」と「還元」で立っていた。
高校生の頃、指揮がかっこよくて憧れてた先輩、最前列で素晴らしい音を出す先輩、その人達が目の前にいる…これだけで十分だった。そして、実行委員長の先輩の熱意に突き動かされた。要領は最悪で手助けがほぼ出来なかったけれど、その熱意に触れたとき、何もしないわけにはいかないとなんとかアクションを起こそうという気になった。
還元という意味では、この4年間弾いてきて、様々な弾き方、音のつくり方に触れてきた。それらをうまく組み合わせて、今まで弾いてきた曲のグレードアップを図れたらいいかなと思ってやってみた。こっちはあまりうまくいかなかったかな。
本番の2週間前に様々な仕事が舞い込んできて、結構てんてこまいだった。幸い、大学の鉄研で散々やってきたようなジャンルだったこと、前職で得られた小技をフル動員して事なきを得たがなかなか大変だった。
本番当日は撮影のためにカメラをセットしたが、借りたカメラを落下させて破壊するという事件が起きた。けれど、もともと中古で買ったやつだったのとレンタル業者から借りた10万は超えるであろう4Kカメラでなかったことが幸いだった。
しかし、録音をお願いするときにメディアがつかえない(分かる人には分かるけど、機材が古いため近年の大容量メディアには対応していない)と言われたのには参ってしまい、思わずホールの人に因縁をつけてしまったのは反省している。
今回の演奏会では、10番目くらいの功労者だと勝手に思っている 笑(実行委員長、指揮者三人、各パートトップ6人)正直、俺と同じ…せめて大学でまだ楽器かベースを続けている子が居ればもっと気楽にできたかなと思わなくははい。あるいはめちゃ動画に詳しい子か。まぁこれはそのうち追々考えていかなきゃならないな。
第一部でのベースが俺しかいないステージはもうちょっと頑張りたかった。これが一番の心残り。
打ち上げに出ず、そのまま神奈川に帰ったことも心残り。話したいこと、相談したいことがたくさんあった。あんなに集まる機会もないので、本当に残念。
でも、OBOG演奏会がある限り、なんだかんだみんな集まってくれると思うので、きっと大丈夫だと信じている。
話がとっちらかってるけどこれでおわり。
皆さんお疲れ様でした!!
LA LA LANDを観てきたよ
最近、youtubeでサカナクションをひたすら聴くのがマイブームです。apple musicでも聴けるのですが、ブラウザを使っていることが大半で楽なこと、別に今や違法でも何でもないからまぁいいかな…と思うとついついそうなってしまいます。
先日、サカナクションの上京物語みたいな話をするというので、ラジオのSCHOOL OF LOCKを何年かぶりに聴きました。登戸での製作の日々や下北沢の情景の話が面白く、小田急線沿線に住んでたから楽曲のSEで使われる音が小田急だったりするのかな、と思ったり。東京という土地が持つ力や魅力の話をしていたのが印象深かったです。
昨日、映画「LA LA LAND」をやっと観てきました。チャゼル監督の作品ということで公開当初から期待できそうだなと思っていたらアカデミー賞で想像以上にすごいことになっていて驚きました。とりあえず上映期間に間に合ってよかった…レイトショーしかやってなかったからわりと危なかったかも。
サントラからの引用はあるものの、あらすじのネタバレはあまりしない方針で感想を書いていきます。
◇ミュージカル映画へのノスタルジーと言うものの
映画の冒頭のシーンは、今まで人生で見た作品の中でも最高のつかみの良さでした。「これからミュージカルの映画がはじまるよ!!」と言うのをとっても分かりやすく表すオープニングの踊りと物語全体のイメージを提示する歌が、オペラの序曲のような役割を果たしていました。ミュージカル映画を初めて観る人に対するハードルを一気に下げる意味でも非常に良心的でした。そのかわり、全体としてはミュージカル映画という割には歌や踊りがちょっと物足りないかな…という印象も。そのリソースをジャズに割き過ぎてしまったかなと思わなくもないところです。
映像は、「セッション」とは全く異なり、ちょっと昔の映画のような雰囲気(と思ったらフィルムを使って撮影されたそう)でした。各シーンでの台詞からも、全体的に古き良き時代の映画を意識しているつくりだなと感じました。実際にそういう評価や、関係者のインタビューもあるみたいですが、個人的には、このような映画を観ない人にはなかなか新鮮に映ることでしょうから、結果論ではありますが、単純にノスタルジーな映画で片づけるのはちょっと勿体ないかな、と思います。
◇最後のシーンについて
この映画でおそらく賛否が分かれるのは最後のシーンかと思います。個人的には、それはそれはきつかったです 笑 ほんとに泣くかと思った。
劇中でも最も雰囲気が違う箇所で、これをどう表現すればいいのかなと一日悩みましたが、一番しっくりきたのは、「ミュージカル(映画)のなかで上演されるミュージカル」という言い回しでした。日本の漫画やアニメだと度々あるパターンですね。というか、こう思わないと心のざわつきが静まらないです。
結末自体は、昔見た映画とほぼ一緒の展開でしたが、その映画より何千倍も華やかに終わった一方で、その華やかさがズキズキと痛かったです。
◇The Fools Who Dream
作中の楽曲で最も好きなのが「The Fools Who Dream」です。歌われるシーン、歌詞が絶妙でした。言葉足らずで恥ずかしいですが、まさしく迫真の演技でした。雰囲気が「レ・ミゼラブル(2012)」のどこかのシーンに似てたけど、どこだったかな…。
この歌までの経緯もまた、自分の心に突き刺さるものでした。夢を追っかけていくこと、そんな人々を惹きつけるロサンゼルスという土地、これらが図らずも冒頭で書いたサカナクションと東京の話にも結び付きました。また、今の自分自身の心境にもリンクしてしまいました。なにしろ、映画を見る30分前まで大学の友人に「俺の将来ってどうすればいいかな?」とLINEを送ったところでした。
去年の「シン・ゴジラ」を観たあたりから何となく映画熱が高まり、色々と観ています。
映画に関しては、音楽や鉄道と比較すると偉そうなことの言えない素人ですが、小さい頃に名作を一通りみたことや自分で撮ったことから、何となくではありますが、掘り下げ気味に観ています。純粋に色んな映画を楽しめそうで楽しめないような気がしてやや複雑なところです。
何にせよ、「LA LA LAND」、とても良かったです。そんなゴールデンウィーク前日でした。
革命の夜は口笛が響く
(ロシアは行ったことがないので…元共産国家スロヴァキアのトラム)
所属しているマンドリンオーケストラで、7月公演に向けての練習がはじまった。
今回のメイン曲はショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」。曲の難易度もさることながら、現代作品特有の雰囲気と徹底的に作りこまれた迫力に血が滾る。
練習を終えて、帰りがけに様々な演奏を聴き比べつつ、曲の背景に思いを馳せた。
曲の解説、解釈は様々なものがあるが、NHKの番組がシンプルで分かりやすかった。
要約すると、大粛清が行われていた頃のソ連で活躍していたショスタコーヴィチがスターリンに目をつけられてしまい、そのなかで書かれた作品が交響曲第5番「革命」である。
例によって、「革命」というのは日本でしか使われていない通称であるが、曲の本来の持ち味を無視した邦題を付けがちな中では名付け方としてはなかなかセンスが良いと思う。
■音楽と政治、共産主義
現代の日本社会では、音楽を含めた芸術を政治のために利用するのはタブー視されている。批判することに関してはとても広く受け入れられていて、そちらについては馴染みがあるが、政権応援のためのポップスは聴いた試しがない(仮にあっても、個人的にはちょっと嫌であるが)。
一方で、世界を見渡せば芸術の政治利用は少なからず行われてきている。不可侵と思われている、思いたい両者であるが、切り離すのは困難だ。
特に、芸術作品はデリケートなもので、製作者自身の心情、状況によって大きく変化する。そのようなデリケートなものを、政治の力で操作するというのはそれほど難しいことではない。従わなければ芸術を作る資格を奪ってしまえばいい。
金城一城の小説「GO」のなかに、共産主義について記した部分に良い一文がある。
上の文に従えば、宗教(=共産主義)に必要なものは教祖(=指導者)だけではない。人を置くだけでなく、建築、行事、教育など様々な道具を駆使して強大さを誇示する必要がある。芸術も使い勝手がいい道具の一つだ。
革命や戦争を行っているなかで人を団結させる音楽として、感動的な、眠くなるようなものは不要である。感情を昂らせ、前進する決意を固めさせる強い音楽が適当である。
音楽がそのように利用されたことは、個人的にはあまり面白いものではない。しかし、そのような背景があったからこそ現代でも演奏される作品が生まれたという事実は変えられない。
心を震わされたのは政治の力ではなく、音楽そのものの力であることを信じたい。
参考文献
金城 一城「GO」(角川文庫)
武蔵野Dreamer
現在住んでいるのは武蔵野線の沿線。
高崎機関区のEF65(0、500番台)を追っていた中学生の頃は武蔵野線が天国だった。駅で気楽に撮れる、昼間でもひっきりなしに貨物列車が来るという環境は撮影においては最高だった。
いざ暮らしてみると、ユーザーとしての愚痴は尽きない。駅周辺に遊ぶところがない、都内に行くには乗り換えが必須、終電は早い、電車の本数は少ない、朝は山手線顔負けの大混雑…。メリットが感じられないので、年内には引っ越すつもりである。
ぶつぶつと言っているが、沿線に住んでみて、路線的に面白かったことをまとめてみる。
武蔵野線は国内でも有数の205系充当線区である。8両編成ということで山手線や埼京線と比べると見劣りするのは否めないところだが、高規格路線でかなりのスピードで走っているので迫力は十分だと思う。
なんといっても、京葉線を通ってあの東京駅まで走っているのだ。首都圏を走る路線として東京駅まで走っていくのは誇らしい。…まぁ遠回りなので使う人はいないだろうが。
最近はVVVF未改造かつシングルアームパンタを搭載している南武線は中原区からの転属車、M51編成とM52編成が注目されている。外扇形モーターのため、メルヘン顔と比べるとめちゃくちゃうるさい。トンネル内では会話ができないレベル。
製造年度的には、内扇形が登場した後に落成したユニットだったが、騒音が問題になっていた埼京線にのみ内扇形を搭載し、それ以外の路線には引き続き従来の外扇形を搭載していた模様でちょっと謎が解決した。(ちなみに武蔵野・京葉線用は落成時より内扇形を搭載)
今のところ注目度は低いが、VVVF改造の編成もとても面白い。ドア窓に小窓と大窓が入り混じったM34編成(他にも存在)、JR線では最古参のクハを組み込むM20編成、メルヘン顔なのにVVVF改造されている異端児M35編成など、話題は尽きない。
209系は今後機器更新が予想されている。音を追う人はそちらにも気をつけなければならない。
ちなみに、朝の通勤で209系が来ると非常に嬉しい。車体幅が広いので幾らか詰め込みに余裕を感じられる。
平日の電車運転を見ていると、いかにも国電らしいダイヤ構成と使用車両である。
近所に東所沢車両区があり、最近になってやっと様子を見に行ったが、通勤型のみが勢揃いした光景は通勤路線然としていて圧巻であった。前面だけを見ると、オレンジ一色の帯なので中央快速線っぽく思えたりする。
平日の国電ダイヤのなかでも花形運用と言えるのが「むさしの号」「しもうさ号」である。「むさしの号」は西浦和駅を高速で通過していく様子と、駅東側のスロープを駆け下りる瞬間がハイライトである。「しもうさ号」は武蔵野線内では特に特徴はないが、方向幕の文字を囲む四角が赤色で快速っぽくてかっこいい。
せっかく国鉄型の「快速」幕を踏襲しているのに、フォントが全然違うので垢抜けなくなっているのが残念である。
平日は国電風味であるが、休日になると様子が一変する。線内の主要乗り換駅のみに停車する快速列車が走り、観光シーズンになると特急までもが走って来る。行き先も鎌倉、東武日光、黒磯、日立、高尾、勝浦、川越、河口湖(最近は走っていないが…)など様々。このギャップが面白い。乗ってみると、待避線がないのでひたすらノロノロ運転。これもまた魅力…かな。
団体臨時列車や配給列車、貨物列車も魅力的であるが、それについては多くの方々が写真をアップしているので言うまでもないだろう。
205系の置き換えは確実であるが、駅や沿線で通勤型を撮っている人は今のところほぼ見かけていない。これから殺到するであろうが、幸い全ての編成を撮影できたのでのんびりとできそうである。
せっかく武蔵野線という路線名なので、武蔵野の雰囲気が残る場所で季節感のある写真を撮って行くことが今後の課題である。
参考文献
鉄道ピクトリアル 2016年9月号、2010年2月号(電気車研究会)