元気ならうれしいね
実名でやっているnoteアカウントもあるが、会社の人に見られたくはないなと思いこちらに投稿。
2ヶ月前から休職をしている。
山のように来るSlackでの問い合わせをこなし、その合間にシステムの設定を整える仕事をしていたが、秋ごろから成果物が伸び悩み、注意されることが増えた。休みがちにもなり、プロとしてどうかと思うという言葉が引っかかり極力休まないようにしていった。案件が増えてからは取りこぼしが増えて叱責が激増。転げ落ちるように体調を崩して今に至る。
特に上司とのコミュニケーションが合わないなと思って、カウンセリングに通ったり他の社員さんに相談に乗ってもらったり改善しようとした。しかし自分の改善は一朝一夕で出来る内容ではなく、ものすごい勢いで進んでいく仕事に追いつくことが出来なかった。
休職後は、起きていたら20時間は仕事への申し訳なさ、上司への恐怖を感じて過ごしてきた。それに比べると多少落ちついてきたが、今は寝ている時間がひたすら長い。
ここで休めると良いのかもだが、やりたいことは漠然とあっても身体が動かない。出かけようにも人混みが嫌で範囲が狭まっている(それでも最近は人と会うことが出来るようになってきた)。
休んでる間に、自分の責任感を和らげるとか、本当にやりたいことを見つけようというのは見かけるが、生まれてから他人のニーズを満たすことに尽くしてしまったため、すぐにどうにかならない。他人の機嫌ありきなのだ。
今後のことが不安だ。
同じチームでSlackの通知に怯えながら働き続けるか、会社を辞めて他の仕事を探すか。しかしコミュニケーションについていける自信は皆無で、一方で履歴書が長い自分はもうまともな仕事につけないのではという不安が強い。
周りは役職に就いたり、家を買ったり、子供が産まれたりと進んでる中、自分だけしょうもないレベルで立ち止まってる気がする。
独身ならまだしも結婚したからには社会的にきっちりした暮らし(仕事)をしなければと強く思う。
この辺りは価値観とか色々言われているけど、素直に受け入れるほど自分は出来が良くない。いっそ専業主夫……なんて思うこともあるけど、働いていない自分から逃げているだけのようにも思える。
今の悩みをまとめると、
・体調悪い
・復職するか辞めるか
・復職しても元通り働くのは困難
・辞めると次の仕事が見つかりそうにない
・今後のことを考えるとある程度の稼ぎは維持したい
・可能であれば、老後のことを考えた安定した働き口が欲しい
なんでこんなことになったのかなと自分でも嫌になる。働くという基本的なことが出来ない自分には生きる価値がない気持ちである(少なくとも日本人男性としては失格だろう)。
幸い、妻が受け入れてくれていることに救われている。ただここにずっと甘えられないため焦燥感もある。
平均的な強さが欲しいし、それが手に入らないなら代わりの何かが欲しい。
I need a camera to my eye.
人生で最も写真を撮っていなかったと思っている時期の画像を引っ張り出してきた。
枚数ベースであれば今と大差はなかったが、分かりづらいものが多かった。激Vとは程遠く、インスタ映えにも振れていない。ある意味では写真らしいのかも?
ラブシャの倍率高すぎて笑えない
ワンオク出るから取れないんかな?これは困ったぞ…
昼まで寝てたせいか眠れない。諦めて一錠キメるかな。。
土日とも家にいる時間が長かった。早いうちに片付けなければならない仕事があって、それに追われてたので暇ではなかった。なかったのだが暇を装って友人を誘いまくってた。土曜日に一日中外出しなくて本当に良かった…お陰で進捗は問題なし。
前は一週間かけて一つ進めるのがやっとだったのに、1日あれば一つあるいは二つ進むようになった。これはきっと成長なのだろう。たまには自分を評価してやろう。
次の週末は東京、その次は京都。特に京都がとても楽しみだ。
憧れと苦悩の間
3月末に川崎の家を引き払い、6年ぶりに静岡で暮らし始めて二ヵ月が経った。
4月は仕事に慣れることで慌ただしく過ごしたが、5月に入り多少は余裕が出てきた。
東京に再び出向くようになった。節約のためにJRと小田急で行き来している。金券屋の切符を駆使して片道2100円程度での移動を実現している。本当はバスのほうが安いが時間をうまく合わせられなかったりコントラバスを持っていたりするため選択肢が鉄道になる。
行きはいいのだが、帰りの新宿駅で並ぶのが面倒でついロマンスカーのチケットを買ってしまう癖はやめたい。それでも新幹線片道分の料金、単純な在来線往復より安いけど。
住んでいた百合ヶ丘を通過するとき、ついつい視線がいってしまう。そして「ほんの二ヵ月前までは住んでいたのに…」とたそがれてしまう。
東京の暮らしは尋常じゃないくらいしんどかった。一方で刺激の強さを楽しんでいた節もある。
ただ、百合ヶ丘の家はこれまで住んだ家のなかで最も快適だった。ボロボロになっていた自分を包んでくれるシェルターだった。
仕事は楽しい。今のところ順調だ。薬の量もずいぶん減った。でもそれらと引き換えに家の快適さと刺激を失ってしまった。
最近は「百合ヶ丘に住みながら今の仕事がしたい」としきりにぼやいている。
刺激はまぁ何とかなる。飲み会1.5回分の金を払えば東京を往復できる(そもそも戻ってきて飲み会の機会が減ったけれど)。けれど家の快適さを十分に得るにはどうするべきか。
でも百合ヶ丘で使ってた間接照明を設置したらちょっと快適になった。
新宿から帰るロマンスカーの車内はとてつもなく憂鬱だ。東京で頑張りきれなかった敗北感とかこの先もこれでやっていけるのかという焦燥感とか色んなものに苛まれる。もう少し強さがあれば、まだ頑張れたのかもしれないと思うとひどく暗い気持ちになる。
今日の帰り、新百合ヶ丘を出た辺りで見かけた多摩線の急行の灯りがとてもかっこよかった。長い電車が走っていく様が結構好きで、できることならこれをまた日常的に見たいと思ってしまった。
国鉄色にまみれてきた(2)
10/22
起きたら雨。やる気終了。
雨だけならまだしも、台風が着実に近付いているため、せっかく車を借りたものの早めに関東へ戻る予定に変更。
昨日のスカ色がしなのサンライズで帰ってくるので、適当な撮影地へ。天気が良かったら川中島に行く予定だったが…。
篠ノ井線松本口に来たわけじゃないぞ… pic.twitter.com/wIzQMoh5vZ
— 三段式寝台 (@Bassist_1993) 2017年10月21日
ちょっと前の松本近辺ならこんな感じでよく撮れたよね…ってそうじゃない。
坂城駅前の169系が見たかったので軽井沢方面へ。途中で戸倉駅前を通ることがわかったので寄り道。
さっきのスカ色がいた。
結構カラフルな感じ。
ろくもんが来た。
妙に人が多いなーと思いながら30分ほど撮影。湘南色が団臨に充当されることが分かったのはこれから4時間後だった…。
続いてお目当ての坂城駅へ。
編成で残ってて驚いた。状態も良い。
本線で走ってくれないかな。
ここまで撮ってもまだ10時頃。横川口でELを撮るか、文化むらに行くか等予定をあれこれ考えた末、「ELレトロ碓氷に乗る」と大幅に予定変更。指定券もあっさり確保。
その前に横川SAで昼食。車だけど峠のかまめし。大雨だったけどそこそこ混んでた。
レプリカにしてはよく出来てるけど本物には見えない…と不思議に思っていたら、運転台部分だけ本物だそうで。
碓氷峠辺りの雨でヒヤヒヤしたが、高崎で車を返却。丁度良く信越本線に接続し、横川へ移動。沿線を眺めると意外に撮影者が多い。
12年ぶりに横川駅へ降り立った。放置車両がなくなっていたりホームが整備されたりして小綺麗になっていた。放置されてたくつろぎが解体されたのが既に10年近く前だった…。
前回は撮れなかったラックレールも撮影。
普通列車が発車してから編成を撮影し、旧客に乗車。車内はガラガラで昔の鈍行列車に迷い込んだのか?と真剣に考えてしまった。
旧客なのに所々でハイテクな箇所があることを面白がっていた。
この座席で長時間乗るのは俺には無理だなーとか言いながらグダグダと1時間ほど乗車。オハニが繋がっていたのは嬉しかったけど疲れすぎて殆ど撮っていなかった。
最近ツイッターで見かける構図を撮ったら高崎到着。
リゾートやまどりにも惹かれたけれど台風のことがあるのでさっさと東京方面へ戻る。高崎って遠いんだな…。
東京駅で今回のお供とお別れし、19時に最寄りへ到着。疲れ果てていたけれど、エリアメールが鳴ったり関西地区の台風の影響が気になったりで寝たのはいつも通りの時間になった。
撮影枚数はさほど多くなかったけれど、一枚一枚を振り返ると10年前にも似たような行程で動かなかったか?と錯覚してしまうような組み合わせだった。
しなの鉄道は行き損感があったのでまたリベンジ。