ト◯×

鉄道、音楽、日常、鬱、懐古

体力不足と旅行

北海道に行く予定だったが、キャンセルをした。

そもそもは春秋航空のセールにつられたことだったが、直前になってきて、まだ自分には北海道をグルグル回る気力と体力が残っていないと痛感したためだ。

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数年前に行ったタウシュベツ橋梁。今年で崩壊の恐れがささやかれている。

順調に水量が増していったので、いい水鏡が見れるのではないか…と期待していただけに残念。心残りはなによりそれだろう。

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キャンセル料もちょっと残念。ホテルを思ったほど確保していなかったのが幸いして、行きの航空券だけで済んだ。時期さえ考慮すれば、直前にホテルをとる方法も選択肢として悪くはないんだなと思った。

無理に全行程をこなす体力と費用(3~4泊ぐらいするはずだったかな?)を勘案すると、ここで引き返しておいて正解だったかもしれない。

いつかみたいに、旅先のゲストハウスで知り合いをたくさん作る、というようなことをしてみたい気持ちはあったけど、コミュ力が低下している今現在、それは自分にはしんどいかな…という思いもあった。

この体力低下とコミュ力低下は一時的なものではあると信じているけど、自分らしい動きや旅行が出来なくなるという点では大きな大きな足かせとなってしまっている。

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でもいずれ、昔みたいにそんな旅行が出来るようになればいいなと思う。

別に懐古厨だっていい筈だけど

Apple MusicやJ-WAVEの番組で時おり新しい音楽を探す。

 

古い資料を漁って変な電車を探したり、新車のプレスリリースから運用方法と従来車の廃車予想をしたりする。

 

普段見ている小田急線を、どう撮ればカッコよくなるか、それっぽくなるか思案する。

 

 

音楽は11年、鉄道写真は14年くらいやっている。これで食べているわけではないのだから、新しいものを追う必要はない。

それでも追ってしまうのは、出戻ったときのためか。いや、そもそも離れてすらいない。

古いものにすがるのがダサいと思うからか。それはちょっとあるけど、興味の薄いジャンルでは俺もそんなもんだ。

 

「趣味から離れた自分がかっこいい」という風潮に逆らおうとしているのか。「趣味=子供」という式がこべりついているからか。

 

純粋な、知りたいという欲なのか。大先輩が働きながらも京都市電や京阪を追っていた姿がある意味でカッコよく見えたからか。

 

バンプの「ユグドラシル」を聴きながら感傷に浸っているだけでも、

P1が牽引する客レを撮って満足するだけでも、

十分に趣味として満足できると思うけど、なぜ自分の中で許されないのだろう。

なんでこう大事な日に限ってこうなるのかなぁ

昨日の夜、ドラゴンボールGTを「つまらねぇな」と思いながら眺めてて、喉が痛いことにふと気がつく。

「げ、風邪やん…」

すぐ寝た。

 

 

翌朝、6時半くらいに目が覚め。まだ喉が痛くて風邪薬を飲んだけど、そこで気がつく。

「これ二度寝したら副作用で寝坊するやん…」

約束は11時だけど寝坊が怖くて結局ずっと起きてる。

 

9時半頃の電車で新宿に出て、山手線でちゃちゃっと目的地に向かおうとして放送に気がつく。

「JR全部死んでるやん…」

 

咄嗟に迂回路を計算したものの最適解ではなかったので経路変更。

乗った千代田線の車両の違和感に気がつく。

「マト82やん…」

銀座線の車両では化粧板に気がつく

「1139Fやん…」

 

車両の運に他の全てが持ってかれた気分。結局遅刻。

 

ちなみに帰りは帰りでJRも小田急もグダグダでしたとさ。

ふて寝。

着席保証列車の考察

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◾️増え続ける着席保証列車

近年、私鉄での座席定員制の列車が増え続けている。

 関東では、

TJライナー(東武)

・Sトレイン(西武、東京メトロ)

・さがみ、メトロさがみ(小田急東京メトロ)

スカイツリーライナー(東武)

関西では、

・泉北ライナー(南海、泉北高速)

・ライナー(京阪)

が挙げられる。

また、既存の列車のテコ入れとしては、

・モーニングウェイ、メトロモーニングウェイ(小田急東京メトロ)

・モーニングウイング(京急)

が挙げられる。

 

◾️記事内での名称について

上記で提示した各列車を「着席保証列車」と総称させていただく。

 

 ◾️付加価値としての着席保証

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LA LA LANDを観てきたよ

最近、youtubeサカナクションをひたすら聴くのがマイブームです。apple musicでも聴けるのですが、ブラウザを使っていることが大半で楽なこと、別に今や違法でも何でもないからまぁいいかな…と思うとついついそうなってしまいます。

先日、サカナクションの上京物語みたいな話をするというので、ラジオのSCHOOL OF LOCKを何年かぶりに聴きました。登戸での製作の日々や下北沢の情景の話が面白く、小田急線沿線に住んでたから楽曲のSEで使われる音が小田急だったりするのかな、と思ったり。東京という土地が持つ力や魅力の話をしていたのが印象深かったです。

 

昨日、映画「LA LA LAND」をやっと観てきました。チャゼル監督の作品ということで公開当初から期待できそうだなと思っていたらアカデミー賞で想像以上にすごいことになっていて驚きました。とりあえず上映期間に間に合ってよかった…レイトショーしかやってなかったからわりと危なかったかも。

 

サントラからの引用はあるものの、あらすじのネタバレはあまりしない方針で感想を書いていきます。

 

ミュージカル映画へのノスタルジーと言うものの

映画の冒頭のシーンは、今まで人生で見た作品の中でも最高のつかみの良さでした。「これからミュージカルの映画がはじまるよ!!」と言うのをとっても分かりやすく表すオープニングの踊りと物語全体のイメージを提示する歌が、オペラの序曲のような役割を果たしていました。ミュージカル映画を初めて観る人に対するハードルを一気に下げる意味でも非常に良心的でした。そのかわり、全体としてはミュージカル映画という割には歌や踊りがちょっと物足りないかな…という印象も。そのリソースをジャズに割き過ぎてしまったかなと思わなくもないところです。

映像は、「セッション」とは全く異なり、ちょっと昔の映画のような雰囲気(と思ったらフィルムを使って撮影されたそう)でした。各シーンでの台詞からも、全体的に古き良き時代の映画を意識しているつくりだなと感じました。実際にそういう評価や、関係者のインタビューもあるみたいですが、個人的には、このような映画を観ない人にはなかなか新鮮に映ることでしょうから、結果論ではありますが、単純にノスタルジーな映画で片づけるのはちょっと勿体ないかな、と思います。

 

◇最後のシーンについて

この映画でおそらく賛否が分かれるのは最後のシーンかと思います。個人的には、それはそれはきつかったです 笑 ほんとに泣くかと思った。

劇中でも最も雰囲気が違う箇所で、これをどう表現すればいいのかなと一日悩みましたが、一番しっくりきたのは、「ミュージカル(映画)のなかで上演されるミュージカル」という言い回しでした。日本の漫画やアニメだと度々あるパターンですね。というか、こう思わないと心のざわつきが静まらないです。

結末自体は、昔見た映画とほぼ一緒の展開でしたが、その映画より何千倍も華やかに終わった一方で、その華やかさがズキズキと痛かったです。

 

◇The Fools Who Dream

作中の楽曲で最も好きなのが「The Fools Who Dream」です。歌われるシーン、歌詞が絶妙でした。言葉足らずで恥ずかしいですが、まさしく迫真の演技でした。雰囲気が「レ・ミゼラブル(2012)」のどこかのシーンに似てたけど、どこだったかな…。

この歌までの経緯もまた、自分の心に突き刺さるものでした。夢を追っかけていくこと、そんな人々を惹きつけるロサンゼルスという土地、これらが図らずも冒頭で書いたサカナクションと東京の話にも結び付きました。また、今の自分自身の心境にもリンクしてしまいました。なにしろ、映画を見る30分前まで大学の友人に「俺の将来ってどうすればいいかな?」とLINEを送ったところでした。

 

 

去年の「シン・ゴジラ」を観たあたりから何となく映画熱が高まり、色々と観ています。

映画に関しては、音楽や鉄道と比較すると偉そうなことの言えない素人ですが、小さい頃に名作を一通りみたことや自分で撮ったことから、何となくではありますが、掘り下げ気味に観ています。純粋に色んな映画を楽しめそうで楽しめないような気がしてやや複雑なところです。

 

何にせよ、「LA LA LAND」、とても良かったです。そんなゴールデンウィーク前日でした。

Sakura

今年は桜を見る気分になれなかった。年々、あの綺麗な色が苦手になっている気がする。そんなキャラクターいたよね?

 

桜は、成功の象徴のようなものになっている。高校の入学式に家族と見たものは人生で最も綺麗で、家族との思い出で一番良いものだった。大学も然りである。けれど、人生で最も辛かった中学一年生の頃や、昨年の春先は桜を見た記憶がない。見ていたとしても、純粋に楽しめなかったようだ。

 

自分には、あの華やかさに触れてはいけないような気がした。

先週の病院の帰り道、東京駅近くの桜並木を歩いたが、クラクラした。桜の鮮やかさと、それを眺める人たちの明るい表情がしんどかった。

 

来年は、何かが成功して夜桜見物なんて出来たらいいな。

革命の夜は口笛が響く

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(ロシアは行ったことがないので…元共産国家スロヴァキアのトラム)

 

所属しているマンドリンオーケストラで、7月公演に向けての練習がはじまった。

今回のメイン曲はショスタコーヴィチ交響曲第5番「革命」。曲の難易度もさることながら、現代作品特有の雰囲気と徹底的に作りこまれた迫力に血が滾る。

 

練習を終えて、帰りがけに様々な演奏を聴き比べつつ、曲の背景に思いを馳せた。

 

ショスタコーヴィチ交響曲第5番「革命」

曲の解説、解釈は様々なものがあるが、NHKの番組がシンプルで分かりやすかった。

www.nhk.or.jp

要約すると、大粛清が行われていた頃のソ連で活躍していたショスタコーヴィチスターリンに目をつけられてしまい、そのなかで書かれた作品が交響曲第5番「革命」である。

 

例によって、「革命」というのは日本でしか使われていない通称であるが、曲の本来の持ち味を無視した邦題を付けがちな中では名付け方としてはなかなかセンスが良いと思う。

 

 

■音楽と政治、共産主義

現代の日本社会では、音楽を含めた芸術を政治のために利用するのはタブー視されている。批判することに関してはとても広く受け入れられていて、そちらについては馴染みがあるが、政権応援のためのポップスは聴いた試しがない(仮にあっても、個人的にはちょっと嫌であるが)。

一方で、世界を見渡せば芸術の政治利用は少なからず行われてきている。不可侵と思われている、思いたい両者であるが、切り離すのは困難だ。

 

特に、芸術作品はデリケートなもので、製作者自身の心情、状況によって大きく変化する。そのようなデリケートなものを、政治の力で操作するというのはそれほど難しいことではない。従わなければ芸術を作る資格を奪ってしまえばいい。

 

金城一城の小説「GO」のなかに、共産主義について記した部分に良い一文がある。

 

「共産(社会)主義国家は宗教を認めていなくて、でも、国民を一枚岩のように団結させるためにはやっぱり宗教のようなものが必要で、当然ながら、宗教にはカリスマである教祖様が必要で、(後略)」

 

上の文に従えば、宗教(=共産主義)に必要なものは教祖(=指導者)だけではない。人を置くだけでなく、建築、行事、教育など様々な道具を駆使して強大さを誇示する必要がある。芸術も使い勝手がいい道具の一つだ。

 

革命や戦争を行っているなかで人を団結させる音楽として、感動的な、眠くなるようなものは不要である。感情を昂らせ、前進する決意を固めさせる強い音楽が適当である。

 

音楽がそのように利用されたことは、個人的にはあまり面白いものではない。しかし、そのような背景があったからこそ現代でも演奏される作品が生まれたという事実は変えられない。

心を震わされたのは政治の力ではなく、音楽そのものの力であることを信じたい。

 

参考文献

金城 一城「GO」(角川文庫)

浦久 俊彦「138億年の音楽史」(講談社現代新書)